家康はゆっくりできなかった
歴史の偉人は晩年ゆっくり
している人は少ないのです。
戦国の三傑では、
信長は本能寺の変でなくなっていますし、
秀吉は朝鮮出兵の最中に
秀頼のことを心配しながら死んでいます。
幕末の三傑では、
西郷は西南戦争で死んでおり、
大久保は暗殺されていますし、
木戸孝允は病死しています。
家康はというと、
ゆっくりは出来なかったでしょう。
しかし、戦国、幕末の3傑の中では、
圧倒的に幸せな晩年といえるでしょう。
ただ家康の晩年は、
ゆっくりと駿河に隠居して
という風にはならなかったようです。
大坂夏の陣で、豊臣が滅んだあと、
武家諸法度等の法整備や、
3代将軍家光の指名までやり遂げて、
73歳で亡くなりました。
秀吉の晩年を見ていて、
とにかく憂いを残さないことを自らに課して、
後世の徳川の子孫のために、
寸暇を惜しんでやり遂げた生き様をあっぱれ!
と言わざるを得ないと思います。
徳川250年の泰平の世は、
家康の親心によって完成されたのです。
豊臣が滅んだあとで、
凡人であればちょっと
ゆっくり好きなことをして
休みたいと思うでしょう?
でも、家康はここで手を抜かなかったのが、
神君家康たる理由です。
例えば武家諸法度や、
禁中並び公家諸法度の発行が
遅れて発行する前に
家康が亡くなったとしたら、
徳川に不満を持つ大名が蜂起して、
また世の中が乱れたりした
可能性があります。
また、家光を3代将軍に指名する前に
家康がなくなった場合、
秀忠は、寵愛していた
弟の忠長を後継者にと
強く思っていたとのことで、
家光、忠長の徳川内乱になり、
また乱世に戻ることも考えられました。
家康は、徳川の世の憂いの目をすべて
摘んで世を去ったように見えます。
本当にすごい人だと思います。
ビジネスの世界でも、
いつまでも君臨する
オーナー社長、会長もよくいます。
家康のように自分にしかできない
憂いを摘む行為を行うならば、
後世からも名経営者と
賛辞を贈られるでしょう。
しかし実際は、老害を振りまいて、
嫌がられている姿もよくみかけます。
自分は家康とは違うと自覚して、
早く次世代に渡すことが、
晩節を汚さない最良の方法になるでしょう。