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定年起業を歴史に学ぶ㊳家康の死因は胃癌だった

家康の死因は胃癌だった

 

家康は、鯛のてんぷらを

たくさん食べて亡くなったと、

以前は言われていましたが、

現代では、もともと消化器系の癌が

存在するところに、

消化の悪いてんぷらを

たくさん食べたから体調が悪くなり、

 

3か月ほどして亡くなったという説が有力です。

 

家康は、当時天下を争った武将に対して、

圧倒的に長生きでありました。

この家康の寿命の長さは、

家康の運がいいことに

含まれるかもしれませんが、

自ら薬を煎じて飲んでいた

健康オタクであったことは、

特筆すべきでしょう。

 

家康が亡くなった年齢は75歳ですから、

戦国の偉人はどのくらいの

寿命だったのでしょうか。

 

織田信長です

信長は、志半ばの47歳で

皆さんご存じの本能寺の変で

命を落としました。やはり、

早いですよね。

天寿を全うしてもう少し長く

生きていたならば、

間違いなく歴史は大きく

変わっていた事でしょう。

 

豊臣秀吉です

天寿を全うした62歳。

毎日が命がけの戦国武将の中では、

長寿の方ではないでしょうか。

でも、あと5年でも長生きしたら

豊臣政権は続いた可能性は高いですよね。

 

武田信玄です

三方ヶ原の戦いで家康を蹴散らし、

京に向かう途中で倒れて、

甲斐に帰って亡くなりました。

53歳、胃癌だったそうです。

三方ヶ原の戦いの頃の信長は、

快進撃を続けていましたが、

まだまだ若く、

絶対の存在ではありませんでした。

さらに家康は、

三方ヶ原で信玄に散々にやられた、

若輩、弱小の大名で、

信玄の足元にも及びませんでした。

せめてあと5年生存していたならば、

信長も蹴散らして、

京に上って天下を取った可能性は

高いと思います。

この頃の戦国最強は

武田信玄だともいえる状況で、

生きてさえいれば天下が

取れたという状況でした。

 

前田利家です

秀吉の死後、豊臣政権で実力は、

家康と争っており、

61歳でなくなっています。

利家があと5年延命出来ていれば、

家康が勝手な振る舞いも出来ずに、

関ヶ原の戦いにならずに、

豊臣政権がなんとか持ちこたえて、

秀頼の成長になんとか間に合って、

豊臣秀頼政権になんとか

繋げられた可能性があります。

 

家康の75歳の天命は、

ライバルたちが早く亡くなる中で、

特筆すべき長寿です。

家康の天下取りには、

家康が長く生きたことは必須の条件でした。

 

ビジネスにおける経営者は激務ですが、

健康に気を使っている人が多くいます。

特に欧米では、

ハイクラスのビジネスパーソンほど

運動を欠かさずに、

ランチはサラダだけとか、

早く寝て睡眠を確保して、

喫煙はもってのほか、

お酒もほどほどにという状況です。

ビジネスマンに限らず、

人生においては、

健康の価値は何事にも代えられませんよね。

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ナレッジコンサルティング
プロフィール 🔶大学卒業後、東証一部上場企業に就職。その後親族の経営している会社に入社。33歳の時、取締役としてその会社の倒産を経験。同族企業としての弱点が招いた倒産であったと自覚する。倒産後の従業員救済のために新会社を設立し、再度、今までの顧客からの継続受注を勝ち取ることに成功し、多くの従業員の雇用を確保できることとなった。その後サラリーマンに転職し、中堅企業の会社役員となり、経営企画及び営業を管掌する取締役として、48億円の売り上げを250億円の売り上げまで拡大させた。 ●新規開拓営業代行のための経営コンサルタント ●同族企業の社長継承のための経営コンサルタント ●経営者の寄り添い、指針になる経営コンサルタント ●新入社員のコストで導入できる社外取締役 ●定年起業コンサルタント