狸おやじ
家康が狸おやじと言われているのは、
有名な話です。「どうする家康」では、
若いころの家康を、
信長が白兎と言って
弱々しい様を表現しています。
では、いつごろからの家康が白兎と
反対方向の狸と言われるように
なったのでしょうか
やはり、秀吉が死んだ後から
家康の狸が始まったと言えるでしょう。
家康の人生は、
家康の頭をずっと押さえつける
人間が立ちはだかった人生でした。
それは、今川義元、織田信長、
豊臣秀吉・・・です。
この頭を押さえつける強烈な上司に対し、
なんとかぎりぎり生き延びて来た中で、
意識しない中で実力を蓄えて、
豊臣秀吉が死んだときに
自分がTOPの実力が備わって
いたということでしょうか。
「鳴くまで待とうホトトギス」のくだりは、
このような家康の状況から、
詠まれのだと思います。
信長が「殺してしまえ」、
秀吉が「鳴かせて見せよう」と、
能動的であるのに対し、
家康は「受動的ですよね。
この受動的であることが、
派手さがなく、
信長、秀吉より人気が劣る原因でしょう。
しかし、この受動的ということが、
凡人の私には家康が凡人の中の
天才として強くシンパシーを
感じる原因だと思います。
現在のビジネスにおいて、
組織の中でいわゆるTOPに
立てる人はごく少数であり、
頭をずっと押さえつけられるとは
いかないまでも、
上司がいる環境でのビジネス人生を
送る人が大半です。
企業の中で頭角を現し、
TOPに躍り出ることが、
人生においてよいことかどうかは、
それぞれの価値観でしょうが、
本能的には、誰しも人の指図を受けたくない。
一国一城の主になりたいと
思っていると思います。
ここで鶏口牛後
(「鶏口と為るも、牛後と為る無かれ」の略)
という四字熟語を思い出します。
私のような定年起業家は、
牛後よりも鶏口を自ら選びました。
定年後は、牛の後ろにいる安定よりも、
弱いですが、
鶏の頭で自分ですべて決めることを
選んでいます。
定年の時期は、牛後の世界にいた人が、
鶏口の世界に移ることができる
チャンスの時期なんです。
鶏のTOPから始めませんか?