大いなる凡庸
凡庸、平凡、平均点、アベレージ・・・
歴史の偉人というものは、
良きに付け、悪しきに付け、
才能が尖っているものであり、
才能が秀でている偉人が多いものです。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、
伊達政宗、石田三成・・・・・
歴史の偉人とは、
才能がある人が到達する人物であることは、
皆様の異論はないものと思います。
綺羅星の如く才能がほとばしる偉人の中で、
凡庸を前面に出して売りにしている?
(わけではないか・・)のは、
江戸幕府2代将軍徳川秀忠です。
どうする家康の中でも、
なぜ家康の後継者が才能の
ある兄の秀康ではなく自分なのかと問います。
本多正信は
「才があるからこそ秀康様を
跡取りにせんのでござる」と説明。
「才ある将が一代で国を栄えさせ、
その一代で国が滅ぶ」のを
嫌というほど見てきた正信は、
「その点、あなた様は全てが人並」
「言うなれば偉大なる凡庸」と美点
(?)を挙げる。
「偉大なる凡庸」言いえて妙ですよね。
一方で、どうする家康で
同時に描かれていた豊臣秀頼です。
家康は二条城で成人した
秀頼と対面しますが凛々しく
聡明な彼の姿に、
圧倒的な脅威を感じることになります。
この時の家康の焦りに似た
感情が大坂の陣を決意させたと
言われています。
歴史のもし?を考えてみます。
家康は地方の一大名とし
て豊臣家を残すつもりだった
とも言われています。
もし、秀頼が凡庸であったのならば、
凡庸な秀頼が、
地方の一大名でよいと考えたならば、
豊臣家は存続したかもしれません。
ビジネスにおいても、
才能に秀でたカリスマ経営者がおります。
その人がいる間はよいが・・・
ということになりがちです。
ビジネスにおいては、
才能があることは強みですが、
なかなか周りが付いてこない、
後継者が育たないという
例も多くあります。
ビジネスにおいては、
才能を含めたその人のバランスが
大切な要素になると思います。
秀忠と秀頼同じ時代に生きた偉人ですが・・・
どちらも偉大な父を持ち、
天下人になるべくした運命でしたが、
全く違う運命となってしまいました。