兵法三十六計・・・
諸葛孔明が使った策を家康使う
「どうする家康」の「真・三方ヶ原」
酒井忠次が石川数正(松重豊)に
耳打ちした策は、
兵法三十六計の一つ
「空城(くうじょう)の計」。
「門を開けよ!」(数正)
「城門を開け放て!
篝火を焚いて息を潜めよ!」(忠次)。
勝頼は罠を警戒し、
いったん引き返した。
薄氷を踏む思いですね。
一か八か・・・、
腹が座っていることを越えて、
この策しかないと思ったのでしょう。
酒井忠次も、諸葛孔明と同じ策を
取ることが来るとは
思わなかったでしょうが、
結果的には、そのときの判断としては、
ベストな判断でした。
翌朝。穴山信君(田辺誠一)は
「軍勢が迫っておるにもかかわらず、
敢えて城門を開け放ち、
何か罠であるように見せかけ、
敵を惑わせる。
かの諸葛孔明が
採ったとされる奇策でござる」
山県昌景(橋本さとし)は
「しかし、本当にやる奴は初めて見た」
武田信玄(阿部寛)は
徳川軍を十分に叩いたと、
浜松城を見逃し。
「わしは時が惜しいのじゃ。
1日たりとも無駄にしとうはない」
と京へ急いだ。
しかし、武田軍は突如、
甲斐へ引き返し始める。
出陣前から体の異変に
襲われていた信玄だが、
馬にも乗れない状態に陥った…。
ここの流れが、
一つ違っただけで、
信玄は家康を滅ぼしていたでしょう。
そのくらい、
家康を滅ぼすのは、
信玄には容易な事でした。
良き時も、
悪しきときも流れがあると思います。
信玄の流れ・・・
このまま信玄が1年長生き出来たら、
完全に歴史が変わっており、
信玄は天下人であった
可能性があります。
しかし、京へ上る途中で
甲斐へ引き返し、
途中で亡くなります。
信玄亡き後は、
武田勝頼が後を継ぎますが、
長篠の戦で
織田・徳川連合軍に惨敗し、
武田は滅びます。
この流れは、
絶頂の武田が、
信玄の死から、滅亡してしまう。
家康の流れ・・・
命からがら、
三方ヶ原を生き抜き、
しばらく体制を整える
期間を要しました。
この時の幸運は、
家康の回りに
家康を攻撃する勢力が
いなくなってしまいったことです。
東と北の最大の脅威武田は、
甲斐に戻り戦力を立て
直す必要があり、
攻めてこない。
西は、同盟の織田ということで、
手負いの虎であった家康も、
傷を癒せるような
ぽっかりと空間が出来たような
状況でした。
私たちのビジネスも
流れが大切です。
良きとき、悪きとき必ずあります。
この流れを見極めることが
、長く生き延びる秘訣ですよね。