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定年起業を歴史に学ぶ⑤信玄のイメージについて考えてみた

信玄のイメージについて考えてみた・・・・

「どうする家康」で圧倒的な存在感、

威圧感を放っている武田信玄。

阿部寛さんの演技が

大いに存在を大きくしています。

 

大河ドラマの武田信玄と言えば、

私が真っ先の思い出すのは、

「風林火山」の市川猿之助

(当時:亀次郎)の武田信玄です。

まだ若いころの猿之助さんの演技も、

歌舞伎独特な、あくの強い言い回しが

独特で名演技でした。

そして。ズバリ「武田信玄」の時の

中井貴一さん。

私は、この時全く見てなくて、

記憶がありません。

 

大河ドラマで描かれている

「武田信玄」が私の中の信玄のイメージなのですが、

そのイメージとしてのキーワードとして、

「強い」「強固」「したたか」

「重い(いい意味で)」「暗い」・・・・

 

対比される武将としたら、

豊臣秀吉(若い時のとすると)

「明るい」「やわらかい」

「かしこい」

「軽い(いい意味で)」「あざとい」・・・・

 

同じ戦国武将でも、

イメージが違うと思いませんか?

信玄も、秀吉も日本史偉人の

TOP10に入ってくるような偉人ですが、

大いにキャラクターが違います。

 

今回も信玄が阿部寛さん、

秀吉がムロツヨシさん。

納得ですし、

逆の配役はあり得ないですよね。

 

信玄のイメージの重さ・・・

この重さが、

強力な縛りをかける

家臣団を扇のかなめで

抑え込めている要因でしょう。

 

秀吉のイメージの軽さ・・・

この軽さが、

自由闊達な雰囲気の中で

、面白そう!と思わせて

ゆるく結束させる要因でしょう。

 

家康のイメージの弱さ・・・

この弱さが、

自分が殿を支えなければと思わせ、

家臣団を自立させる要因でしょう。

 

歴史の偉人は強烈に

イメージがありますよね。

このイメージは一定ではありません。

その人のその時で全く違います。

 

信玄

父信虎を追放しましたが、

父と不仲であったと言われています。

信玄のイメージの重さは父追放当時は、

体も細くとても

重いというものではなく、

どちらかというと

頼りないものでした。

信玄の重さのイメージは、

上杉謙信との川中島の戦いを含め、

苦労してたどりついた

イメージだと思います。

 

秀吉

晩年の秀吉は、

人間が変わったように

残虐で猜疑心の塊のような

暗いイメージに変わりました。

ここまで、イメージが暗転した

歴史の偉人はいないのではと

思われます。

 

そして家康

ご存じの通り晩年は、

たぬきおやじと言われるほどしたたかで、

狡猾なイメージとなってしまいました。

三方ヶ原の弱小のイメージは

大きく変わりました。

 

私たちも個人でビジネスをしますと、

イメージで判断されがちです。

暗そうとか、押しが強すぎとか、

なんかとっつきにくいとか、

ネガティブなイメージは

つきやすいですよね。

でもイメージは変えられます。

前向きなポジティブな発言、

小ざっぱりした身なり、

明るいトーンの声・・・・

イメージは大切ですよね。

ABOUT ME
ナレッジコンサルティング
プロフィール 🔶大学卒業後、東証一部上場企業に就職。その後親族の経営している会社に入社。33歳の時、取締役としてその会社の倒産を経験。同族企業としての弱点が招いた倒産であったと自覚する。倒産後の従業員救済のために新会社を設立し、再度、今までの顧客からの継続受注を勝ち取ることに成功し、多くの従業員の雇用を確保できることとなった。その後サラリーマンに転職し、中堅企業の会社役員となり、経営企画及び営業を管掌する取締役として、48億円の売り上げを250億円の売り上げまで拡大させた。 ●新規開拓営業代行のための経営コンサルタント ●同族企業の社長継承のための経営コンサルタント ●経営者の寄り添い、指針になる経営コンサルタント ●新入社員のコストで導入できる社外取締役 ●定年起業コンサルタント