お手付きしてどうする・・・・
家康が奥方の瀬名に
こっぴどく怒られています。
「鎌倉殿13人」でも、
源頼朝が、妻の政子に散々に
やられています。
お手付きしてどうする・・・・
とは・・・
正室の瀬名が認めていない
お万の方に子供を産ませています。
その子供が後の結城(松平)秀康
歴史の偉人のこの手の話を
私ごときが論じることは
おこがましく思ってますので、
今日のお題は、結城秀康。
なかなか知られていない
歴史の偉人です。
この人は、徳川家康の
子供でありますが、
なかなか日の目に当たらない
境遇でありましたが、
最終的に越前松平氏の祖となり、
加賀前田氏の抑えとしての
役割を果たすことになります。
長男信康は、
信長の命で切腹させられますので、
順番的には次男の秀康が
2代将軍のはずが、
2代将軍は弟の3男秀忠となります。
それは、母が正規に認められた
側室でないことにあります。
この秀忠は、秀吉の養子になり、
さらに結城家に養子となり
最終的に越前で松平と
名乗ることになります。
武将としての素養は、
周りからは高い評価がありました。
しかし、出しゃばることなく、
弟の2代将軍秀忠を支えた
ことになります。
非常にわきまえることが
出来た人だったのでしょう。
秀康は、歴史の中で
なかなか表に出てこない偉人ですが、
非常に自分をわきまえ、
自分の立ち位置を理解し、
周りの人にさすがと
思わせる立ち振る舞いが
出来た人であるので、
地味ではありますが、
越前という大きな藩を
与えられたことになりました。
もし、秀康が、自分が将軍である
という思いがあったとするならば、
なかなか周りの人は
認めなかったでしょう。
驕らずに、自分をわきまえること
が出来る人を見て、
周りの人は、この人すごいと
思ってしまいます。
ビジネスの世界でいろいろな人と
関わる私たちは、
驕らず、自分をわきまえることが、
大切であると思いませんか?