戦っても勝てない・・・
だけど戦わなくてはならない
絶体絶命とは
このような事をいうのでしょう。
家康としても、
圧倒的な差がある武田と
戦いたくなかったことは
言うまでもありません。
しかし、武田信玄が京に上るためには、
家康の領地である、
遠江、三河を通る必要があることより、
戦わなくてはならなくなりました。
望まない戦であることは
言うまでもありませんが、
避けることも出来ない戦でもありました。
家康の戦略は、十にひとつ勝つには・・・
それは、浜松城籠城戦
しかないという結論です。
この家康の浜松城籠城の方針は、
もしかしたら、
もしかするかも・・・・と思いますよね。
ひと月籠城を持ちこたえれば、
信長本軍の援軍が来るとなれば、
籠城戦の士気も上がりますし、
武田の猛攻を必死に
持ちこたえることは想像できます。
だけど、信玄は、浜松城を攻めないどころか、
目の前を通過して西に進んで行く・・・・
何故だ!と家康は叫びます。
この状況・・・
なにもせずとも信玄の威厳が
伝わってきますね。
家康が信玄の掌で
踊らされていることが伝わってきます。
格が違うとでもいいましょうか。
家康が信玄に勝るものはないとも
言える状況でした。
でも、私たちは歴史を知っています。
最終的にどうなったんでしょうか。
家康は天下を取り、
信玄は死に武田は滅亡しました。
私にもコンサルタントをやっていて、
この人にはかなわないなー、
という人がいます。
でも、この人にかなわないと思っているのも、
「今」なんです。今はかなわないけど、
先々は超えてるかもしれません。
学生の時の先輩で、
この人すごいと思って
リスペクトしていた先輩に、
同窓会で久々に会ったときに、
えーこんな人だった?
ってこともありますよね。
今はかなわなくても、
超えることは出来ます。
三方ヶ原の戦いを見て、
徳川が武田を凌ぐと
思えた人は多くないでしょう。
でも歴史はこの通りなんです。