本当に信頼できる腹心とは
信頼できる腹心は、
戦国武将においても、
ビジネスのTOPおいても、
非常に重要ですよね。
家康には、酒井忠次、
石川数正という重鎮がいました。
しかし、石川和正は、
宿敵秀吉に出奔という
家康にとって思いもよらない
結果となりました。
「どうする家康」では、
家康を守るための出奔という
描き方をされていましたが、
裏切られる結果となりました。
では秀吉においての腹心といえば、
豊臣秀長でないでしょうか。
もちろん、石田三成も
最後まで忠義をつくした
腹心であります。
何が違うかというと、
秀長は身内であり、
弟であるということです。
戦国時代は、
親子、兄弟関係なく
殺しあう時代ですので、
身内も関係ないとの
考えもありますが。
秀吉と秀長の兄弟は
特別な関係であり、
身内だからこその絆が
秀吉の天下を支えたと
言っても過言ではないと思います。
豊臣秀長は、秀吉の弟ですので、
農民の出身です。
しかし、秀吉からの誘いで
秀吉と一緒に信長配下に
入ることになります。
出世街道を駆け上がる
時期の秀吉には、
蜂須賀小六や、堀尾吉晴、
竹中半兵衛、黒田官兵衛などの
一癖も二癖もある
人間をかかえており、
秀長はこれらの一癖も二癖も
ある連中を束ねる立場です。
当初は農民上がりと
馬鹿にされていた
かもしれませんが、
秀長は謙虚、温厚で
誠実な性格でしたから、
すぐに彼らと打ち解けた
のではないでしょうか。
「秀長が長生きしていれば
豊臣家の天下は安泰だった」
と言われています。
秀長が亡くなったのは、
小田原征伐の後です。
兄である豊臣秀吉の
天下統一を見届けてからでした。
秀吉は、元来短気で
怒りっぽい性格でありましたが、
天下統一前は、自制が効いていて、
黒田官兵衛等の側近の
諫めも聞いていましたが、
天下統一後に秀吉を
諫めることが出来たのは、
千利休と秀長の二人しか
おりませんでした。
秀長は、秀吉と違って、
自分の地位が上がっても、
偉ぶらずに温厚に対応したので、
天下人として人間が
悪化してきている秀吉
との取次役として、
豊臣政権が瓦解するのを
防いでいた存在です。
その秀長も病に倒れ、
20年後に豊臣政権は滅ぼされます。
ビジネスの世界で、
兄弟二人が仲良く
経営をしている例は、
稀に、見ることがありますが、
大概の場合、
ぎくしゃくした関係であり、
従業員や取引先は
大いに迷惑します。
兄弟で経営すると遠慮がない分、
他人よりやっかいです。
秀吉と秀長の関係は、
圧倒的に秀長が大人であり、
秀吉を信用させるだけの
人間力があったと
言わざるを得ません。
兄弟で会社経営をしている、
同族経営の経営者の方で、
兄弟がうまくいってないと
思えるのでしたら、
秀長に徹して、
裏で会社を操ることが、
会社繁栄の近道かもしれません。
秀長は、同族経営者にとって
大いに学びがありますね。