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定年起業を歴史に学ぶ⑱信頼していたNo2を引き抜かれた

本当に信頼している

No2がいなくなったら・・・

それも、ライバル会社に

引き抜かれたとしたら・・・

 

あなたに置き換えてください。

あなたが会社の経営者ならば、

本当に信頼している専務が・・・、

あなたが会社組織の部長ならば、

本当に優秀で可愛がっている課長が・・・・

そのような人を思い浮かべてください。

その有能で、可愛がっていて、

本当の意味で右腕のNo.2の人が

ライバル会社に引き抜かれた????

 

なぜだー!!と叫びたくなりますよね

こんな思いを家康はしています。

本当に苦楽を共にして、

信頼しきっていた

No.2の石川数正がよりによって、

天下を狙うライバル中の

ライバルの秀吉に引き抜かれた・・・・

となると家康の落胆は・・・・

と思いますよね。

石川数正の秀吉への出奔は、

「戦国最大のなぞ」と言われています。

 

まず石川数正ですが、

家康家臣団の中で外交を一手に

引き受けた人でした。

家康は、他家との交渉があるたびに、

数正に全権を任せるようになりました。

「姉川の戦い」、「三方ヶ原の戦い」、

「長篠・設楽原の戦い」など、

多くの合戦に出陣し、

先鋒を務めることも度々で、

数々の武功を挙げています。

 

このように武功も挙げる数正でしたが、

彼の悲劇はやはり、政治力、教養、

広い視野、協調性などが必要になる

外交ができることにありました。

 

小牧・長久手の戦いで、

秀吉が石川数正に目を

つけることになります。

秀吉が、石川数正に罠を掛けて、

石川数正が秀吉のスパイではないかと

疑われる状況にします。

 

小牧・長久手の戦いは、

秀吉は家康に敗れることになります。

秀吉と家康との交渉に

石川数正が専任であたることになります。

秀吉は石川和正を懐柔して、

徳川家臣団の中に、

石川数正が秀吉に内通しているのでは?

という疑心暗鬼の状況をつくります。

それでも石川数正は家康に対して

忠義を貫いていたと思います。

しかし、秀吉から家康に挨拶に

来るようにとの要請を

断わっていた家康に対し、

全面的に家康を滅ぼすことを

実行しようとしていた秀吉の状況を察して、

石川数正が、秀吉に出奔したのではないか

との推測です。

家康にとって、石川数正は、

徳川の内情をすべて知り尽くしているので、

ここで秀吉に情報が筒抜けの状態で

戦をすべきでないと判断し、

家康は秀吉の家臣に下ることになりました。

 

ここでの石川数正の秀吉への

出奔することによって、

徳川が秀吉に滅ぼされるのを

救ったとも見えます。

 

律儀一筋の石川数正が、

秀吉に懐柔されて裏切ったということは

考えにくいと思います。

裏切者の汚名を受けても、

家康を守る気持ちで秀吉の出奔をしたのでは

ないかと思います。

そうでないと、腹に落ちてきません。

 

石川数正を秀吉に取られた

家康の気持ちはいかばかりでしょうか。

本当にショックで、

秀吉と戦をする気にはなれなく

なったでしょう。

そこが、石川数正の

忠義の心だったと思います。

 

私たちビジネスパーソンでも

No.2がライバル会社に

引き抜かれることが、

もしかしたら、あると思います。

石川数正のような、

律儀が故の引き抜きというのは

なかなかないのではないでしょうか。

それよりも、No.2が引き抜かれるような、

関係になっていることは、

TOPとして反省すべきことでしょう。

裏切った人間を恨むより、

自分の非を反省することが

必要になると思います。

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ナレッジコンサルティング
プロフィール 🔶大学卒業後、東証一部上場企業に就職。その後親族の経営している会社に入社。33歳の時、取締役としてその会社の倒産を経験。同族企業としての弱点が招いた倒産であったと自覚する。倒産後の従業員救済のために新会社を設立し、再度、今までの顧客からの継続受注を勝ち取ることに成功し、多くの従業員の雇用を確保できることとなった。その後サラリーマンに転職し、中堅企業の会社役員となり、経営企画及び営業を管掌する取締役として、48億円の売り上げを250億円の売り上げまで拡大させた。 ●新規開拓営業代行のための経営コンサルタント ●同族企業の社長継承のための経営コンサルタント ●経営者の寄り添い、指針になる経営コンサルタント ●新入社員のコストで導入できる社外取締役 ●定年起業コンサルタント