秀吉VS家康
信長、秀吉、家康の3英傑の中で、
刃を交えたのは秀吉と家康だけです。
この英雄相対する戦いは、
小牧長久手の戦いとなります。
この頃の家康は、
三方ヶ原で武田信玄に散々に
やられたころに比べて、
格段に強くなっています。
それは、大将の家康だけでなく、
三河武士団の面々も歴戦で辛苦を味わい、
格段に強くなっているのは
言うまでもないと思います。
やはり秀吉と家康どっちが強い?
っておもっちゃいますよね。
戦いの結果は家康方の大勝利。
秀吉方は、死傷者1万人とも言われ、
大敗を喫しました。
その後も秀吉は家康に決戦を挑もうとし、
しばらく両軍の睨み合いの状態が続きました。
その後、和議ヘ向け秀吉方は
信雄への工作を強め、
ついに信雄・家康は和議に応じます。
最終的な結果は、
秀吉は、負けて勝ち、
家康は、勝って負けたと言えるでしょう。
そもそも織田家の跡目争いですが、
織田信長の息子たちは、
まんまと秀吉にしてやられた
ということです。
その争いの中で
、秀吉VS家康の代理戦争になりました。
でも、信長の息子達ですが、
秀吉や家康には比べるべくもなく、
信長のDNAはあまり
引き継いでいないようですね。
秀吉は、負けているのに、
天下を治めることになりました。
天才の秀吉だからできたのだと思います。
一方家康は、勝っているのに、
秀吉の家臣になってしまいました。
家康は、納得できなかったと思いますが、
今が辛抱の時と思ったでしょうか。
ここで待つという選択ができるのが、
家康のすごさです。
長くビジネスをしていると、
「負けるが勝ち」という場面に、
大なり小なり出会うことがあります。
小さいことで言えば、
議論が対立した場合、
相手に譲って、
相手を気分よくさせて、
こちらの言い分を通す
とういうこともよくあります。
相手に花を持たせて、
自分の言い分を通すこと。
相手に譲ることによって、
遠回りになるかもしれませんが、
家康の「泣くまで待とうホトトギス」は、
大いに参考になると思います。