カリスマが君臨!!
秀吉が望むことは何でもできる。
でも裏を返せば、秀吉がやると言えば、
やらなくてはならない・・・・
ってことになります。
晩年の秀吉が晩節を
汚す最大の要因が、
朝鮮出兵です。秀吉以外、誰も望まず、
そして、誰も得しない戦です。
この時の有力者である、
徳川家康も前田利家も
黒田官兵衛も秀吉を諫めたでしょうが、
聞く耳を持たなかったと言います。
秀吉の望みは、明と朝鮮を滅ぼして、
都を北京に移すことだったそうです。
その当時の日本軍は、
戦国時代で戦に明け暮れていましたので、
当時の世界最強の
軍隊だったとのことです。
ですから、当初は、朝鮮の奥地まで
転戦出来ましたが、
やはり、地の利や兵糧の不足等があり、
徐々に戦況が不利になって、
一旦撤収。
そして2回目も出兵して、
秀吉の死をもって、
撤収を完了することになりました。
独裁者のよくある無謀な行動です。
晩年の秀吉は、
性格が変わってしまって、
誰も手が付けられないほどだった
のではないかと思います。
この無謀な独裁者の指示に
従わなくてはならない
当時の兵士たちは、
朝鮮をほろぼしたら、
朝鮮の土地を与えると言われて、
夢をみたのでしょうか。
この頃の秀吉は、
それ以上に秀頼のことを心配するあまりに、
無謀なことを平気でやってしまっています。
この晩年がなければ、
もっと早く死んでいれば、
秀吉の評価は、
他の歴史の偉人の追随を許さない
圧倒的人気の歴史の
偉人だったかもしれません。
カリスマ経営者が
牛耳っている会社があります。
確かに今までは、
そのカリスマ経営者がいたから、
急成長し、今があります。
しかし、明らかに晩年で、
リスクであるように思えるのに、
誰も止めることが出来ません。
歴史は繰り返す・・・・。
カリスマの晩年を秀吉から学ぶことは
価値があると思いますが・・・・。