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定年起業を歴史に学ぶ㉖めんどくさいマネジメントをどう考えるのか

めんどくさいマネジメントをどう考えるのか

 

石田三成は、豊臣政権一の切れ者と言われ

豊臣政権の実務を取り仕切った

大変優秀な官僚的武将です。

秀吉の天下取りには、

20万人の大軍勢を動かし、

20万人の兵士が長期滞在できるように、

水軍を使って兵糧を調達し続けたり、

2度の朝鮮出兵の際に、

大軍勢を朝鮮まで渡らせる、

船や武器、食料の供給等の

さまざまな大合戦の裏方を

取り仕切ったのが石田三成でした。

 

この石田三成は、

神君家康に歯向かった大罪人として

江戸時代は描かれており、

悪役のイメージが定着していますが、

最近の研究で領民に慕われる

名君との声が聞こえて来ています。

実際どのような人物だったのでしょうか。

 

朝鮮出兵において、最前線で戦った、

加藤清正、福島正則を中心とした武闘派と、

後方で支援を行っていた

石田三成を中心とした文治派との

亀裂が豊臣政権を分断し、

関ヶ原につながりました。

このとき、武闘派の加藤清正は、

三成が秀吉に告げ口をして、

加藤清正は秀吉からお咎めを受けています。

秀吉が亡くなると、

武闘派は、三成憎しとなりました。

武闘派にとっては、

最前線で戦っている武将を

貶めるような告げ口を

秀吉にすること自体許せん!

となることも理解できます。

 

では、これだけ頭のいい三成は、

なぜ告げ口をしたのでしょう。

三成は、そもそも、武闘派の武将たちと、

肌が合わない、気が合わない、

話が合わないというところが

あったのでしょう。

一方で、三成と仲が良かったと

言われる武将は、

大谷義嗣、小西行長、直江兼続が挙げられます。

3人とも戦働きも出来ますが、

頭脳派で、武闘派の加藤清正や福島正則のように、

やり一本で勝負、

戦場での手柄がすべてと思う人間ではありません。

 

私は、石田三成を嫌いではありません。

嫌いどころか、非常に優秀でありながら、

主君に忠誠を誓い、最後まで忠義を貫いた

立派な人であると思います。

だからこそ、反面教師になります。

 

三成は、一代で急成長した

会社のわがままなカリスマ社長に

絶大の信頼を置かれている、

切れ者の専務のように見えます。

社長はわがままですから、

無理難題の方針を唱えます。

三成専務は、なんとしても秀吉社長の

目指す方向性を実現するべく動きます。

三成専務の苦労は、

ホワイトカラー社員の大谷部長や、直江部長は、

共鳴し、三成専務を支えようとします。

しかし、ブルーカラーの現業部門の

加藤部長や福島部長は、

以前から三成専務のホワイトカラー的な

振る舞いを快く思ってません。

三成専務は、加藤部長、福島部長と

話しても通じないと思っていて、

自分の判断で、秀吉社長に

告げ口をするというところでしょうか。

 

三成の状況は、

組織の中でのマネジメントの問題です。

マネジメントは、組織化すればするほど、

多く発生します。

我々起業家は、

このマネジメントを極力やりたくありません。

社員を雇うよりも外注化し、

パートナーを増やすことを目指します。

三成の苦悩は反面教師として、

大いに勉強になります。

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ナレッジコンサルティング
プロフィール 🔶大学卒業後、東証一部上場企業に就職。その後親族の経営している会社に入社。33歳の時、取締役としてその会社の倒産を経験。同族企業としての弱点が招いた倒産であったと自覚する。倒産後の従業員救済のために新会社を設立し、再度、今までの顧客からの継続受注を勝ち取ることに成功し、多くの従業員の雇用を確保できることとなった。その後サラリーマンに転職し、中堅企業の会社役員となり、経営企画及び営業を管掌する取締役として、48億円の売り上げを250億円の売り上げまで拡大させた。 ●新規開拓営業代行のための経営コンサルタント ●同族企業の社長継承のための経営コンサルタント ●経営者の寄り添い、指針になる経営コンサルタント ●新入社員のコストで導入できる社外取締役 ●定年起業コンサルタント