桶狭間の戦いは、
歴史上の重要トピックスで、
もちろん教科書にも
書かれてますし、
今までの大河でも、
それなりに重要な扱いでした。
こんにちは
定年起業コンサルタントのtomoshinオフィスです。
今回は、野村萬斎さんの
今川義元の舞いが
見事だったのですが、
桶狭間の戦闘シーンは
まったく描かれず、
元康が大高城に
入場したことが描かれ、
そののちに、
今川義元が、織田信長に
討たれたことがわかり、
あの「どーすりゃーいーんじゃー」
につながります。
桶狭間の戦いを例えると
前回からの続きで、
今川株式会社の子会社の
松平株式会社です。
桶狭間は、
圧倒的に企業規模の大きな、
今川株式会社が織田株式会社から、
営業的に1点突破で急襲を受け、
今川株式会社が大損害を受け、
その心労からカリスマ義元社長が急逝し、
今川株式会社が弱体化する状況・・・・
こんな感じですかね。
元康(家康)の選択は?
そのような状況下において、
松平株式会社の元康社長は
どのような決断をしたのか。
桶狭間で、
大きな痛手の
今川株式会社の子会社を解消し、
まだまだ、実績は少なく
規模は小さいが、
勢いはものすごい新興企業の
織田株式会社の子会社になる
選択をします。
三河は、今川と織田の間に
ある土地ですから、
織田の急襲に会い弱体化する
今川に見切りをつけ
勢いのある織田の傘下に入る選択は
当然の選択かもしれません。
ただ、「どうする家康」の脚本は、
駿府に帰ろうとする元康に対し、
家臣が反対し、
岡崎に向かったとなるそうです。
歴史を知っている我々は、
元康が自ら決めて、
織田の配下に入ったのならば、
先見の明があったと言えますが、
家臣の反対で変更して、
織田の傘下になったのならば、
さすが!とは言えない?
となりますよね。
元康は、聞く耳がある
でも、家臣の反対で変更というのは
頼りない社長に見える
かもしれませんが、
部下のいうことを聞ける
耳があるとも言えますよね。
織田信長ならば、
家臣の言うことを聞いて
方針変更なんて
ほぼありえない。
ここが家康の魅力です。
天才信長のことは
凡人には理解できませんが
凡人に近い天才の家康の
やることは
自分もそうするかもと思わせますよね。
起業した後は
人の意見で方針をかえること
なんてしょっちゅうです。
起業することにおいて
人の意見に耳を傾け
行動を修正できること
の方が重要です。
天才の方以外は
織田信長のように
独りよがりになってはなりません。
独りよがりは天才の信長だから
許されるんです。
そして、目指すは、
定年後は一人社長で、現在の年収を超える!!
年収1,000万円を稼ぐ!!
今後もブログ発信をしてゆきます。お気軽に下記お問い合わせから、ご意見を聞かせていただけましたら、幸いです。
これからもよろしくお願いします。