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定年後は一人社長で1,000万円稼ぐ⑱源頼朝の失敗?

「鎌倉殿の13人」も佳境を迎えています。

なぜ、源氏が3代で滅んだのでしょうか?

 

皆さんこんにちは、

起業コンサルタントのshintomoオフィスです。

 

なぜ、源氏が3代で滅んだか?

理由はいくつかあるでしょうが、

最大の理由は、

源頼朝の過剰リスク管理が、源氏政権を3代で滅ぼした?

 

源頼朝が征夷大将軍になり、鎌倉幕府を開くには、

ぎりぎりの薄氷の思いで切り開いたのだと思います。

 

私は、源平、北条の時代は、大河では、あまり扱われない

ので、知らないことも多くありました。

だからこそ、なぜ源氏は3代で滅んだのか?と言うのが

不思議でなりませんでした。

今回「鎌倉殿の13人」を毎月欠かさず観てよくわかりました。

 

源頼朝のリスク管理が行き過ぎた!

やっぱり、頼朝は周りの人間を信用できない!

これが、最大の原因だと思います。

 

頼朝は、平家の監視下に伊豆に流されて流人として育ち、

大変な苦労の中で、征夷大将軍になるという

並外れた人物であることは言うまでもないと思います。

ただ、このような生い立ちが、猜疑心の強い人間とさせた

のだと思います。

 

そして、

源氏の身内として、木曽義仲、源義経、源範頼・・・

御家人として、上総介広常、梶原景時・・・

 

頼朝にとって、最も頼りになる人物を、成敗してゆく

ことをやってきたことが、源氏3代で滅びた最大の原因です。

 

この頼朝の最も頼りになる人物を、成敗することは、

頼朝にとって最大のリスク管理であり、

速やかに災いとなる人物を取り除くことを

行うことで、自分が生き延びるというロジックで

生き延びてきました。

 

このことによって、自分の直系の頼家、実朝以外に源氏血筋

を継承が出来る人間がいなくなったことが、最大の原因です。

 

では、北条義時はなぜ成敗されなかったのか?

それは、頼朝が義時を最大限に信頼していたということも

ありますが、その時の頼朝にとって義時が、自分に敵対できる

ほどの力がなかったからとすることが、最大の理由と思われます。

 

頼朝から学ぶリスク管理

起業するときのリスク管理として

私は、歴史が好き、大河好きであるということの

理由の一つに、

歴史上の大人物も、こんなに悩んで、こんなに苦しんで

成果を上げたんだ・・・と

すごく身近に感じるんです。

 

そういうことで、

この源頼朝から学べることとしては、

リスク管理も行き過ぎると、先々重大な欠陥となるかもしれない

意外とエイッ、ヤー、とやってみるといいことも多いのでは

と思います。

 

一歩前に出る・・・

をやってみませんか?

 

そして、目指すは、

定年後は一人社長で、現在の年収を超える!!

年収1,000万円を稼ぐ!!

今後もブログ発信をしてゆきます。お気軽に下記お問い合わせから、ご意見を聞かせていただけましたら、幸いです。

これからもよろしくお願いします。

ABOUT ME
ナレッジコンサルティング
プロフィール 🔶大学卒業後、東証一部上場企業に就職。その後親族の経営している会社に入社。33歳の時、取締役としてその会社の倒産を経験。同族企業としての弱点が招いた倒産であったと自覚する。倒産後の従業員救済のために新会社を設立し、再度、今までの顧客からの継続受注を勝ち取ることに成功し、多くの従業員の雇用を確保できることとなった。その後サラリーマンに転職し、中堅企業の会社役員となり、経営企画及び営業を管掌する取締役として、48億円の売り上げを250億円の売り上げまで拡大させた。 ●新規開拓営業代行のための経営コンサルタント ●同族企業の社長継承のための経営コンサルタント ●経営者の寄り添い、指針になる経営コンサルタント ●新入社員のコストで導入できる社外取締役 ●定年起業コンサルタント