神君伊賀越え
神君家康の三大危機の一つ。
まず、家康が一報を聞いたのは、
堺から京に行く最中とのことです。
当時日本の絶対的権力者が、
ある日突然いなくなる・・・・
という事を、
ほぼ明智光秀に近い人間以外は
まったく想像すらしないだろうと
思います。(黒幕がいなかったとして)
今でいうと・・・
想像してみますと・・・
安部元総理が亡くなられましたが、
大変ショッキングでした。
でも、仮に現役の総理大臣であったとして、
日本の中が混とんとするような状況に
なったかといえば、
ならなかったと思います。
織田信長がある日突然
何事もない時に討たれた・・・
本当にこのときの日本は、
混とんとし、無法地帯と化すぐらいの
衝撃があったと思います。
現代の私たちの想像をはるかに
超える状況だったでしょう。
話を家康に戻します。
堺から京行く道すがらに、
「信長討たれる」という情報を
聞くことになるのですが、
当初は、まったく理解できなかった
のではと思います。
織田信長が撃たれたと
言ってきた伝達の者の話を
何度も聞きなおして、
信じられないと、
何度も言いながら、
なにかの罠じゃないかと疑って、
だんだんオロオロしながら・・・
とりあえず京に向かうことにします。
そこに、茶屋四郎次郎から、
本当に信長が討たれたと聞き、
本当に身近に危機が
迫っていることを実感する
ことになります。
手勢はわずかで、
明智の追手が迫っていると判断する中、
この先どうするかを速やかに
判断しなければならない・・・・
家康が、知恩院で自害しようと
したという言い伝えも
わからないではないですよね。
服部半蔵率いる
伊賀者に道案内をさせ
茶屋四郎次郎が
黄金を配りながら、
家康一行を伊賀の山中を越えさせて、
伊勢の海の船まで導いたのは、
全員しびれるような行軍を
送ったのでしょう。
家康一行は、
歴戦のつわものですから、
命が危ないことは
多々あったでしょうが、
今回のような、
家康を守るのもままならない
状況であることは、
経験がないでしょう。
我々現代人は、
このような天地がひっくり
返るような経験はなかなか
したことがありませんし、
できれば経験したくありません。
ビジネスが平和にできる
今の日本に感謝しかありません。