本能寺の変までの束の間の平穏の時期
「どうする家康」も
築山殿・信康事件が終わり、
織田信長にとって、天下統一に向けて、
最終の詰めをするところまで来ています。
この大詰めの中国征伐のために
、秀吉から、出陣を依頼されて
中国に向かう途中に
本能寺の変が起こることになります。
家康は、信長を
富士遊覧に誘い接待を行います。
わがままな信長に振り回されながらも、
誠心誠意の家康の接待に
信長は喜んだのでしょう。
その後本能寺の変の引き金になる、
信長の家康への接待の
責任者を明智光秀が任命されて
いったということになります。
この家康の信長への接待は、
信長の家康への思いを
変えたように思います。
以前は、家康を、家臣のように
完全に下に見ていた信長ですが、
築山殿、信康事件を悪かったと
思ったかどうかはわかりませんが、
信長はこの接待をきっかけに、
家康に対してある程度対等な
感覚が芽生えたのではないか
と思えています。
家康が、今まで不満な感情が
ちょくちょく態度に出てきいたのを、
敏感な信長は感じ取って、
家康はまだ信用できないと
思っていたのではないかと思います。
今回の接待においては、
築山殿信康事件は、
家康は、信長を恨んでいても
不思議でない事件であるにも関わらず、
家康は、純粋に嫌な顔一つみせずに、
信長に誠心誠意の接待をしたのでしょう。
信長ほどの難しく、
めんどくさい人間が納得するほどの接待は、
企画、計画、準備、実行と相当に
神経を使って実行し、
信長は、家康の気遣い、気配りを通じて、
自分へのリスペクトを感じたのでしょう。
そして、この接待をきっかけに
家康を信頼できる仲間と
認めたのではないでしょうか。
ビジネスパーソンは、
接待をすることは、多々あるでしょう。
私は、数多く接待を実施してまいりました。
接待を受けることはあまりないのですが、
接待を受けることは、好きではありません。
なぜか?
接待をする人の気持ちがわかるので、
この接待を通じて
私に期待していることがわかるので
嫌なのです。
私は日頃、接待する側で、
お客様に期待することを
理解いただく側であるので、
私がこの接待を受けて、
借りがあるような状態に
なることが嫌なのです。
たかが接待、されど接待です。
今回の家康のように
この接待で状況をさらに
関係がよくなるような
接待が出来れば非常に
有効な接待になります。
逆に、接待がうまくできなければ、
接待しない方がましだった
ということになります。
私が接待を受けるのが嫌なのは、
接待受けた際に、
こうすればいいのにとか、
私ならこうするのにと、
接待している人のアラが
見えて来るのも嫌な理由の一つです。
この接待という習慣は、
欧米のビジネスマンの中には
なかなかありません。
プライベートで対等に
食事することは有るでしょうが、
日本特有のものです。
日本では、この接待を有効に使うことで、
大きなビジネスを動かすことも出来ます。
私は、家康に接待も見習おうと思っています