生まれついた条件
こんな境遇に生まれつけばよかった・・・・と
誰しも思ったことはあるでしょう。
戦国大名は、少なからず皆思っていたでしょう。
境遇1
もっと早く生まれていたら・・・
有名なのは、伊達政宗が、
あと少し早く生まれていれば、
天下を取れたと言ったと言われています。
確かに伊達政宗は、信長に謁見したことはなく、
秀吉、家康から若い武将とみられていました。
秀吉はすでに天下統一を果たす寸前であり、
東北の1大名の伊達政宗が挑むには、
難しいと思い嘆いたのは
わからないではありません。
結果として家康の天下となりますが、
家康よりも若輩の政宗は、家康の天下にも
食い込むことができませんでした。
境遇2
もっと京に近い場所に生まれていれば・・・・
このことを思ったのは、武田信玄。
上杉謙信も同様の条件ですが、
上杉謙信は義のない戦はしないという、
理念があり、謙信は、領国の越後が安泰で
あればよいという考え方で、
京に近い所で生まれていれば・・・
とは思わなかったと言われています。
一方の信玄ですが、
もっと京に近い所に生まれていれば・・・
と強く思ったとのことです。
信玄の所領の甲斐は、
信濃、駿河より東で、
当時は関東は辺鄙な場所と言われていましたので、
辺鄙な関東の手前で、
山ばかりの痩せた土地の甲斐にいるいる
自分を憂いたとのことです。
一方で、信長、秀吉、家康の3英傑ですが、
信長・秀吉が尾張、家康が三河で、
比較的京に近く、肥沃な濃尾平野の
近くに所領があったことは、
恵まれていたでしょう。
信玄が京に上るには、
遠江・三河の家康、
尾張・美濃の信長を撃破して、
京に上らなければならない状況です。
これは、ハンデがあると憂う
気持ちもわからないではありませんね。
結局は、境遇1、境遇2に恵まれた、
秀吉・家康が天下を取りました。
やっぱり条件が整ったから天下を取れた?
条件を憂うならば、
秀吉は、農民出身で、
なぜ俺は農民出身なんだ・・・と
憂いたのは間違いないでしょう。
しかし、天下を取りました。
身分という意味では、
秀吉より信玄、政宗は圧倒的に
好条件ですよね。
この身分の条件の方が、
年代の条件や京に遠い地域の条件より、
圧倒的の厳しいと思います。
それでも秀吉は天下を取ったのです。
信玄は寿命が尽きたから、
政宗は、家康を討つことを決断
しなかったから天下が取れませんでした。
結局は自分のことなんです。
今の自分の境遇を憂いたところで、
仕方ないという結論になります。
私たちビジネスパーソンの中にも、
自分の境遇を憂いて愚痴を
こぼしている人を見かけます。
愚痴をこぼしても仕方ないですよね。
戦国武将に比べるべくもなく、
ビジネスは、生まれついた境遇は
関係ないのですから、
まさに自分の実力一つです。
いい時代だと思いませんか?