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定年起業を歴史に学ぶ㊼「寛和の変」習ってません!

「寛和の変」習ってません!

 

「寛和の変」・・・・・初めて知りました。

歴史好きを公言して、

こんなブログをアップしてるのに・・・

知りませんでした。

 

いにしえの記憶を遡りますと、

高校生の日本史の授業・・・

歴史は好きなはずなのに、

面白くなかった。

だって、その時の歴史で起こったことを、

先生が黒板に延々と書いてゆく

無味乾燥にテスト前に覚えようとするから、

だんだん興味がなくなって、

どうでもいいような歴史の事件は

俺には関係ないと思って、

こんな日本の出来事どーでもいいし!

と腹が立ってました。。

 

高校の歴史の先生の名誉のために言いますと、

おそらくしっかり教えて、

黒板にも書いていたと思います。

ただ、私がまったく覚えていない、

できの悪い生徒であったということは、

間違いありません。

先生のせいではないと思います。

 

「寛和の変」とは、

天皇家を中心に藤原一族他の貴族が

政治を行っており、

右大臣藤原兼家が画策をして、

花山天皇を出家させることによって、

権中納言藤原義懐を失脚させる

ような大胆なクーデターです。

 

大河のシーンでは、

父親の藤原兼家が5人の子供

(道隆、道兼、道長、詮子、道綱)を集めて、

兼家がクーデターの計画の話をします。

そして、それぞれの役割を話して、

Xデーを明らかにします。

緊張感漂う場面です。

 

ちょっと待ってください。

このクーデターは、

小さな組織の中のクーデターではなく、

平安期の日本の最高権力者への

クーデターですよね。

大それたクーデターが

いかにも家族会議で決められたような

簡単さです。

 

でも裏を返すと、クーデターは、

関わる人が多ければ多いほど、

情報が漏れやすく

失敗に終わる可能性が高いです。

ですから、この家族会議のような

クーデターは理にかなっているかもしれません。

 

ビジネスにおけるクーデターといえば、

「三越事件」が思い起こされます。

 

1982年(昭和57年)昭和真っただ中でした。

「三越事件」は三越の経営を私物化した、

当時の岡田社長が取締役会の動議で

解任されることになります。

この時岡田社長が発したとされる言葉

「なぜだ!」はこの年の流行語となりました。

 

三越事件も取締役会の

少人数で行われました。

それでも16人。

「寛和の変」のドラマの登場人物が

正しいとするならば、

6人で日本の国家でのクーデターを

実行したことになります。

これはすごい事ではないでしょうか。

 

三越事件は強烈に印象に残っていますが、

クーデターされるようなな経営者は、

早く退場すべきなのは言うまでもありません。

 

 

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ナレッジコンサルティング
プロフィール 🔶大学卒業後、東証一部上場企業に就職。その後親族の経営している会社に入社。33歳の時、取締役としてその会社の倒産を経験。同族企業としての弱点が招いた倒産であったと自覚する。倒産後の従業員救済のために新会社を設立し、再度、今までの顧客からの継続受注を勝ち取ることに成功し、多くの従業員の雇用を確保できることとなった。その後サラリーマンに転職し、中堅企業の会社役員となり、経営企画及び営業を管掌する取締役として、48億円の売り上げを250億円の売り上げまで拡大させた。 ●新規開拓営業代行のための経営コンサルタント ●同族企業の社長継承のための経営コンサルタント ●経営者の寄り添い、指針になる経営コンサルタント ●新入社員のコストで導入できる社外取締役 ●定年起業コンサルタント